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ひとりごと2004
04.07.18 大山に蝉しぐれはない !

異常な暑さにすっかり夏ばてのkoko、澄んだ空気を求めて大山へ行った。
下社の下方、慰霊塔前の広場でのんびりと休憩中、たまたまご一緒になった中年の男性と話が弾んだ。鎌倉の方なので仮にKさんとしておこう。
以下Kさんの話

★大山に蝉しぐれはない、何故か。大山では大きな木が倒れると杉の木を植える。杉の木は根を張らない。根を張らないと土地が肥えない。雑木が育たない。蝉はブナのような雑木林でこそ育つ。今の大山は(特に裾野)雑木が育ち、蝉が育つ肥沃な環境ではない。どんどん土地が痩せて来ている。

★国立公園と国定公園の差は大きい。国宝と重文の差も同様である。大山は国定公園なので政府からの援助は微々たるもの、管理が大変。

★アメリカでは成功した人からの寄付が大きい。マイクロソフト社の社長は、毎年収入の3分の2を寄付している。功なり名を遂げた人は、社会に寄付をして始めて認められる。残念ながら日本の教育は恩を返すことを教えていない。

★工事現場などで遺跡が見つかると、建築会社は大変だ、工事の遅れに伴う損失も発掘費用も、全部負担しなければならない。

★伝統ある古い建物も重文指定を恐れてどんどん壊されていく。政治の貧困さを痛感せざるを得ない。

★「親父(おやじ)の会」を作って子供たちと環境を守る運動をしている。駅前の吸殻拾いをみんなでやる、すると拾ったあとから、ポイ捨てをする人がいる。子供たちは「ああいう大人にはなりたくない」という。

以上がKさんの話の要約である。いちいち共感しながらお聞きしていた。昔の事業家は成功して名を成しても自身の生活は質素、貯めたお金は公共の為にポンと寄附する報恩の心と気概があった。欧米ではキリスト教の普及で、人々の行動に1本筋が通っている。日本では戦後今までの規範を失い、道徳教育もイマイチである。政治の貧困さも、教育の貧困さも深刻だ。人間一人では生きられない、せめて、支え合いを感謝して、今出来ることを精一杯やって、少しでも恩返しをしたいものである。
           
04.06.21 俳句をもう一度やってみようかな〜

SNSのQちゃんの『ことば遊び575』に刺激を受け、娘のころ少しだけ「俳句」をやっていたことを思い出し、やっと当時の俳誌を本棚の奥から見つけ出した。。
昭和40年1月1日(1965.1.1)発行「白鷺」89号。いったい何年前よ〜?
知人の勧めで、初めて投稿した句が「接心抄」に掲載され、自分の作品が活字になったことが嬉しくて・・・感激したものだ。2〜3ヶ月は一生懸命やったかな、そのうちずるずる止めてしまった。読み返して見ると、若いころの張り詰めた気持ちが伝わってきて、一生懸命作ったんだなあと思う。それなりに捨てがたいので、記しておきます。
     ・ 深山の 落葉杣人 あるごとし
     ・ 柿照りて 阿波国の墓所 皆見事
     ・ 遍路の鈴 遠ざかり行く 蕎麦の花
     ・ 暁の 空より木犀 にほひだす
     ・ 落葉蹴り 老抜く下山の 若き脚
     ・ 竜馬黙す 銅像秋の 潮鳴りを
     ・ 秋暑し 土佐路に魚臭 遁れ得ず
     ・ 台風の 痕微き漁村に 水荷なう
     ・ 他者(よそもの)は 美と見る稲の 多段干し
     ・ 峠越せば 干し唐黍に 埋る里
     ・ 遠く来て 花野に酔うも 旅半ば
     ・ 茱萸の種 赤きを秋の 海に吐く
     ・ 離宮守る 里人相倚り 冬支度
     ・ 枯蟷螂 懸けて蜘蛛の囲 しぐるるよ
     ・ 閉館を 急ぐ図書館 秋寒し
     ・ 初時雨 砂利掬う音 続きけり
     ・ 葉を丸め 北風(きた)に耐えんと 桐必死
今ののんびりとした生活の中からは、昔のようなピンと張った句は作れそうにない。月並みでもいい、易しい素直な句を作りたい。
               
04.04.25 -鼓童 meets 玉三郎−  (NHK 劇場への招待)
     ▽和太鼓集団・鼓童を坂東玉三郎が演出
        〜2年に及ぶけいこのドキュメンタリー 鼓童・玉三郎・他
     ▽"鼓童ワン・アース・ツアースペシャル”から 鼓童
        東京・世田谷パブリックシアターで録画〜
「鼓童」は、和太鼓の集団として有名なのでご存知の方も多いと思う。
プレイヤー24名、スタッフ24名、研修生等を合わせ総勢70名。和太鼓を中心に、日本の伝統的な音楽芸能を現代に再創造を試み、1981年、ベルリンフィルハーモニーホールでのデビュー以来、年の1/3を海外で、1/3を国内で、1/3を本拠地佐渡で活動している。
番組全体(2時間25分)を通して、佐渡の美しい四季を背景にした、玉三郎氏の語りがとても良かった。
前半の稽古の様子も、感動的であった。歌舞伎役者・玉三郎の別の1面にも魅せられた。玉三郎演出の意図に沿って、演出者&演奏者両者が交流を深めつつ、徐々に素晴しい舞台を創り上げていく。全員が一体となった瞬間の感動が伝わってくる。
後半は2年間の成果発表、劇場での録画。残念ながらテレビでは今ひとつ舞台の迫力が伝わりにくい。芸術音痴のkokoには、やはり盆踊りやさくら祭りなどで、正面に陣取って聞く、お腹にずしんと響く生の太鼓の音がいい。         
04.03.26野村萬斎 わが子を鍛える狂言三代の初舞台
               (2003.11.21放送の再放送)

「お父さん大好き!」「お父さんのようになりたい。」テレビの中の父、和泉流狂言師、野村萬斎氏の姿を食い入るように見つめる裕基くん、そのまなざしの真剣さはとても3歳の子とは思えない。
野村家では3歳の時に、狂言「靭(うつぼ)猿」の子猿役で初舞台を踏む慣わしがあり、昨秋(2003)萬斎氏の長男・裕基くんは初舞台を迎え、番組では、その厳しい稽古の様子が伝えられた。
まずは祖父万作氏(72歳)が手ほどきをし、続いて父親からの厳しい稽古が始まる。
父も子も汗、汗、汗。泣きじゃくりながら「もう忘れません」「もう忘れません」と繰り返す裕基くん。一歩間をおいて優しく見守る祖父万作氏。
こうした日々の厳しい訓練のなかで、伝統の技が大切に伝えられていくのだ。               
04.03.12 悪文追放願望

「ひとりごと2004」を読み返して驚いた!だらだらだらと何たる悪文!だいたい赤字で強調するなんぞ、そもそも邪道ではないか。
即近くの「BookOff」に走った。目に付いたは「(名文と悪文)文章力」北岡俊明著(総合法令出版株式会社)。ええっ850円?100円じゃないの?今日のお夕飯は残り物ですまそっ!
抱えて急いで帰宅、ざっと最初からページを繰って、巻末の「名文」の見本を読む。
「曽野綾子」「石原慎太郎」の名文例、いいねいいね、kokoの、のろい頭にもすっと入ってくる。なるほどまずは頭にすっと入る文がいいのね。
そこで最初から読み始めた・・・・
★文章技術から見た悪文とは
  ・書き出しが良くない・分かりにくい文章・長文・無味乾燥な文章・あいまいな文章・抽象的な文章・紋切り型・手垢のついた文章・ひとりよがりの文章・大上段に振りかぶった悪文・幼稚で稚拙な悪文
★文章技術から見た名文とは
  ・書き出しがすばらしい・歯切れの良さ・簡潔・リズムがある・メリハリがある・おもしろい・ぐんぐん引き込まれる・無我夢中にさせる・興奮する・時間忘却・寝食忘却・役立つ・ノウハウ獲得・何か得をした・やる気にさせる
この辺はなんとかわかる。問題は
★3つの悪文
  第1は「思想的な悪文」(思想的な偏り)
  第2は「論理的な悪文」(論理の矛盾・飛躍・論点のすりかえ)
  第3は「思想的にも、論理的にも悪文」

このあたり筆者の独創的な内容でこれは難しい!これを裏返して
★名文の3分類
  (1) 思想的な名文
  (2) 論理的な名文
  (3) 内容の名文(文法的・論理的には少々おかしくても読む人を感動させるもの)

クリアーするには自分の中にしっかりとした判断基準を持っていないと難しい。世界観・自然観・人間観の確立が要求される。
★文章力を高める方法
これはすぐにも取り入れていけそうな実用的な部分で少し抜粋させていただくと
基本ノウハウ
  ・「只管筆写」「只管朗読」・コトバの収集
まとめる訓練(時間・量)・日記を書く
文章構成
  ・アメーバ法・三文法・起承転結・小見出し・段落・論点の整理
文章表現
  ・短文の原則・ヨコ書きはヨコ1行を短く・表現構造は逆三角形の原則・結論先出しの原則・前置きを短くするの原則・言い切りの原則・一義的に分かることの原則
(例えば長文は不適)・暗く見えないことの原則(漢字が多すぎるなど)・簡潔の原則
序文に
人生は文章力である。
本書は、類書にない独創的な内容を持っている。
第1は「思想的」「論理的」な名文と悪文、というまったく新しい視点から文章を論じた点である。
第2は名作・名文に共通する「書き出しの原則」を明らかにした点である。 
第3は知識人と大衆の悪文を徹底的に批判し、真の名文とは何かを明らかにした点である。

 (以上茶色の部分は「文章力」北岡俊明著から引用させて頂きました。)
これは大層ユニークな文章論である。本を1冊読めば直ちに悪文を追放できるほど世の中甘くはなかったが、すぐに参考になるノウハウも一杯!
ぜひ皆様お読みください。  
04.02.22 「われら茨の道を行く」〜国産乗用車・攻防戦〜
                (NHKプロジェクトX 再放送)

「トヨタ自動車」は今や世界企業として有名であるが、昭和25年は倒産の危機にあった。工場叩き上げの現場主任「中村健也」が命運を託された。
彼は大変な勉強家で自宅は本で溢れていた。
国産乗用車を作りたいという夢を持って入社、他の自動車メーカーが、次々と外国企業と提携する中で決してあきらめなかった。
2万点を数える部品の改良に取り組む。
ボデイ開発製作に関わった長谷川龍雄・藤中義裕、ばね開発の馬場孝・守屋茂は言う。
「昭和29年試作車が出来上がったとき、中村さんは『できたなあ』ポツリとたった一言・・・・その言葉に国産乗用車開発への執念と壮絶な戦いを終えた万感の思いがあった。」と。
この初の本格国産乗用車「クラウン」の誕生なくして、今日の世界企業「トヨタ自動車」はなく、「自動車王国・日本」もなかったのである。
中村さんはこんな言葉を遺した。
「信念が度胸を生む。開発は先の見えない夜行列車の運転と同じだ。度胸を持って走り切れ!ぎりぎりのところを切り抜けたところに名品が生まれる。」
04.02.09“治る力”を呼び起こせ〜「統合医療」の可能性
                 (NHK クローズアップ現代)

kokoは18歳の時、西洋医療に見放され、いわゆる代替・伝統医療によって今日まで命を繋いできた。代替・伝統医療大好き人間である。
今日のクローズアップ現代では統合医療が取り上げられていて興味深かった。
統合医療とは近代西洋医療(西洋薬・手術など)に代替・伝統医療(漢方・鍼・灸・気功・ヨガ・太極拳・アロマテラピー・ハーブ・健康自然食など)を組み込む医療の事をいう。
近代西洋医学は薬・診断法・診断用機械・治療法・治療用機械などどんどん進歩して、いまや壮大な殿堂をなしている観がある。だが、だから完璧か・・・というとそうではないことに誰もが気づいている。
病気の中で治療法が確立しているのは30%に満たないという。
末期がんで、のた打ち回りまわりながら死んでいく、あるいはボケて徘徊する親・兄弟・知人を身近に見ては、ウォーキングに励み、ヨガや太極拳に親しみ、畑を耕して無農薬の野菜を求める人たちが多くなった。
こんな風潮の中で、日本でも統合医療という考え方を取り入れる施設が急速に増えている。これは嬉しいことであるが、残念なことに保険の利かない自由診療であって、kokoのような貧乏人には縁のない所だ。
出来るだけ早く西洋医療と代替・伝統医療が対等に扱われる時代が来て欲しい。
健康食品も無農薬野菜もやたら高価である。
健康がお金で買える時代であってはならない。健康法はお金がなくとも、どんな貧乏人でも実行できるものでなくてはならない!
ある日テレビで、早朝大勢広場に集まって太極拳や気功に励む中国の人たちの姿を見た。これぞ中国の底力の源かと思った。
日本でもこんな風潮が生まれて欲しい。行政ももっともっと予防医学に力を入れて欲しいと切望している。
04.02.04 娘よ、ありがとう!

今日はとんでもないハプニングで娘に大変世話をかけてしまった。
午前中はSNSの「公民館祭り」の打ち合わせ会。午後は娘が孫を連れて来てお昼を一緒に食べ、買い物をしたりしてあっという間に時間がたった。
娘の帰る車で夜の「マウス勉強会」に出席、sanaさんの車に乗せていただいて9時半頃帰宅。
さあ我が家へと思ったら・・・鍵がない・・・トホホ・・・どうやら娘の車に落としたらしい。
万策尽きて娘に電話、やはり鍵は車の中に落ちていた。
外は寒い、荷物は重い、財布は軽い!娘の家は車で20〜30分、電車で行くと乗り換えもあり結構大変。もう今日はくたくただ。とうとう「持って行ってあげるから、近くのマックで待ってな。」との娘の言葉に甘えてしまった。ほんとにごめんね。
娘が生まれたとき実家の母にきつく言われた。
「女の子は嫁ぐまでの預かりものと思って大事大事に育てよ。嫁げば婚家の人間になる。決して当てにする勿れ。」
気をつけてはいても一人暮らしの中ではどうしても世話をかけてしまう。
「今日はゴメンね、有り難う。どこかに鍵を隠しておくようにするから。」と娘にメールしてすっかり疲れて寝てしまった。
翌日娘から電話有り、「お母さん、鍵をどこかにおくのはやめた方がいいよ。危ないからね。鍵は持っているから、いつでも行ってあげるから・・・」
娘の言葉に思わず涙が出た。
娘は5歳で父親を亡くし、私は仕事と障害の子にかかりきりで、ゆくての石ころをとり除いてあげることも、作った穴を埋めてあげることも出来なかった。さぞかし苦労したことであろう。
何にもしてあげられなかったのに、どうしてこんなに優しい子に育ってくれたのだろう。ただただ感謝あるばかりである。
今日もいろんな方に助けて頂いた。sanaさんにはいつも送って頂いてありがたく思っている。
最近感謝の涙の出ることが多くなった。大分年をとったらしい。
                  
04.01.28  シルバー人材センターで初仕事

平成14年3月、我が家のごく近くに「高齢者能力活用施設」通称「シルバー人材センター」中央事務所が完成。会員(60歳以上)のために仕事を紹介している。
仕事の内容は
 ※ 専門技術(家庭教師・パソコン指導・自動車運転)
 ※ 技能作業(植木の手入れ・家屋の修理・襖張り・障子張り・網戸張り・刃物砥ぎ)
 ※ 事務整理(一般事務・受付事務・賞状筆耕・宛名書き)
 ※ 管理業務(駐車場管理・公園管理・グランド管理)
 ※ 屋内軽作業(ガラス拭き・倉庫内雑務・皿洗い・封筒詰め)
 ※ 屋外軽作業(除草・清掃・自転車整理)外交折衝(店番・配達・パンフレット配布)
 ※ 家事補助(食事の支度・家庭内掃除・園児送迎)など。
昨12月会員登録をした。今日(1月28日)はじめて単発の仕事が入り意気揚々と出かけた。
仕事は9:00〜15:00シルバーセンター内での軽作業、11名で4000余通の封筒詰め作業。70歳前後の元気元気のおばあさんばかり、和気藹々とした雰囲気の中で皆さんの元気さに圧倒されつつ、予定通り午後3時終了。
60歳70歳といってもまだまだ元気な方が多くなった。老後は趣味・ボランティアだけでなく、身に合う仕事があればこんな素晴しいことはない。
04.01.20 日米ブルトーザー対決NHKプロジェクトX) 

日本製のブルトーザーは今や世界各地の大規模工事で活躍している。
現在日本の世界シェアーは、米国と2分して約半分を占めている。
しかし昭和36年の米国製品解禁は日本製ブルの危機であった。
メーカー老舗の小松製作所の技術者たちは山本房生をリーダーに立ち上がり、開発と普及に心血を注いだ。
修理担当の河合清志さんは、定年を返上して、10年かけてブルトーザーの送り込まれた世界各地50カ国を駆け回った。
「年齢は関係ありません。やはり体力と気力、いや気力ですかね。血が騒ぐと…というか……」
1つのことに打ち込み誇りと自信に満ちた笑顔が美しい。
04.01.17 西陣織102歳のプロデューサー山口伊太郎
                 (NHK人間ドキュメント)
京都西陣の織元、山口伊太郎さん、102歳、自ら織の技法を編み出し、職人に指示を出すプロデューサーだ。
織職人(おりしょくにん)の家に生まれ、お腹の中から、機織(はたおり)の音を聞きながら育ち、18歳の時織元として独立。
70歳になった時、寿命はあと10年と思い定め、織物を「美術品」として残す決意をし、「源氏物語絵巻」を織物で再現する試みに取り組み始めた。
以来30余年、第1巻〜第3巻を完成、現在第4巻製作中。
「織物でこんなこともできる、織物でなければ出来ない作品を作りたい。千年先の人に見てもらいたい。」「
102歳でまだゆめを見てまんねん。この年になってまだやりたいことがあるのはしあわせ。」
とおっしゃる伊太郎さんの素晴しい人生に乾杯!



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